海外生活のヒント

幸せな老後は、元気な今の選択で決まる|祖父母との暮らしから学んだ生き方


「幸せな老後を迎えたい」

そう考えるようになったのは、大人になってからではありません。
私の場合、その思いは中学生の頃から、ずっと心のどこかにありました。

きっかけは、祖父母の暮らしを近くで見たことです。
子どもの頃は、祖父母と過ごす時間がただただ楽しくて、安心できるものでした。
けれど年を重ねるにつれて、その関係や生活は少しずつ変わっていきます。

家族がいても、誰かがそばにいても、人は「受け身」になってしまうことがある。
その姿を前にしたとき、当時の私はなぜこんなに苦しいのか、うまく言葉にできませんでした。

この記事では、祖父母との経験を通して私が考えるようになった「幸せな老後」と、それを実現するために私が行ってきた選択の一つとしてカナダに来たことなど、日々の生き方のヒントもお伝えします。


中学生の頃、老後について考えるようになった理由

私の祖父母は、私が中学に上がる少し前に実家の近くへ引っ越してきました。
それまでも祖父母のことが大好きだった私は、二人が近くに来てくれたことが嬉しくて、しょっちゅう家に遊びに行っていました。

祖父は本当に穏やかで優しい人でした。
怒られた記憶や、声を荒げる姿を見たことは一度もありません。
基本的には、祖父が祖母の願いを叶える、そんな関係性だったように思います。

祖母はいわゆる「お嬢様」育ちで、外で働いた経験はありませんでしたが、家の中ではどちらかというと祖母が主導権を持っていました。
二人とも交友関係が広いタイプではなく、祖父は囲碁、祖母は料理や編み物を楽しむ、静かな暮らしをしていました。

祖父母の家に行くと、二人はいつも私の話し相手になってくれました。
一緒にゲームをしたり、近所を散歩したり。
その時間が楽しくて、子どもの頃の私は「祖父母と過ごす時間=安心できる時間」だと自然に感じていました。

けれど、私が成長するのと同じように、祖父母も年を重ねていきます。
その頃から、二人の暮らしや関係性が、少しずつ以前とは違って見えるようになっていきました。


家族がいても、人は受け身になってしまうことがある

年を重ねるにつれて、祖父母が二人だけでできることは、少しずつ減っていきました。
そのいら立ちもあったのか、祖父が祖母に対して声を荒げることが出てきました。
それまで一度もそんな姿を見たことがなかった私は、とても戸惑ったのを覚えています。

祖母も、どう対応すればいいのかわからない様子でした。
もともと体が弱く、定期的に病院に通う生活をしていた祖母に対して、祖父はほとんど病気をしたことがない人でした。
今思えば、祖父にとっても初めて向き合う状況だったのだと思います。

安全面を考え、最終的には二人で暮らし続けることは難しいという判断になり、祖父は施設に入ることになりました。
私はその話を、ちょうどアメリカに留学している時に聞きました。

帰国後、祖母と一緒に暮らしたいと両親に話し、それから約二年半、同居することになります。
最初のうちは、子どもの頃から大好きだった祖母との生活が純粋に楽しく、できる限り一緒に過ごそうとしていました。

ただ、私には仕事や友人、家族との時間もあり、常に祖母のそばにいることはできません。
そんな時、祖母は家で一人、テレビを見て過ごしていました。

誰かに会いたい、どこかに行きたいという希望を口にすることはなく、外出は私からの提案による買い物や通院だけでした。
以前好きだった編み物や刺しゅうを勧めてみても、「やりたくない」と言われてしまいます。

もしかしたら、以前のようにはできなくなったこと自体が、祖母にとっては辛かったのかもしれません。
それでも当時の私には、何もできないまま時間が過ぎていく祖母の姿を見るのが、正直とても苦しかったです。

私と一緒にいる時は嬉しそうにしてくれる。
けれどそれ以外の時間は、何もすることがなく、ただ誰かが何かをしてくれるのを待つしかないように見えました。


幸せな老後は、元気な今の選択で決まっている

祖父と祖母は、それ以降一緒に暮らすことはありませんでした。
会うことも次第になくなり、最後はお互いのことをあまり話さなくなっていたように思います。
もしかしたら、きちんと気持ちが伝わっていなかった部分もあったのかもしれません。

私も、私の両親も、その時にできる精一杯のことはしてきたつもりです。
それでも、「これでよかった」と胸を張って言えるような満足感は、正直ありませんでした。

そんな二人の姿を、中学生の頃から社会人になるまで見続ける中で、私の中に一つの考えが残りました。
それは、「家族がいても、自分がやりたいことや、やれることがなければ苦しくなってしまう」ということです。

それは身体的な問題だけではありません。
たとえ小さなことでも、「これがしたい」「ここに行ってみたい」という希望があれば、周りの人はそれに応えようとすることができます。
すべてを叶えることはできなくても、一緒に考えることはできるからです。

けれど、本人から何の希望もなく、ただ「楽しいことがない」と言われてしまうと、何をすればいいのかわからなくなってしまいます。
相手を思って何かを与え続けることは、想像以上に難しいのだと、その時に知りました。

だから私は、人生の目標を「幸せな老後」にしようと思いました。
したいと思ったことは、できるうちに行動する。
いつ、同じようにできなくなるかわからないからです。

将来、結婚してパートナーができたり、子どもが生まれたりするかもしれない。
けれど、自分が年を取った時、その家族がどうなっているかは誰にもわかりません。

だからこそ、年齢に関係なく人と関わり、できるだけ多くのつながりを持つこと。
知り合いでも、友達でもいいと思っています。

誰かと一緒に楽しめる趣味だけでなく、一人でも楽しめるものを持つこと。
それが、年を重ねても続けられるものなら、なお良い。

将来のために今を犠牲にしすぎることはしないけれど、少し無茶をしてでも、やりたいことはやってみる。
私にとってその一つが、カナダに来て新しい生活に挑戦することでした
そんな選択を重ねながら、私はここまで来ました。


まとめ

祖父母の選択や、家族として関わった時間を振り返っても、「これが正解だった」と胸を張って言える答えは、正直ありません。

ただ一つ確かなのは、あの経験があったからこそ、私は「幸せな老後」を人生の軸に置くようになったということです。

老後のために今を我慢するのではなく、未来の自分が振り返ったときに、「ちゃんと選んできた」と思える今を重ねていく。

誰かに支えられるだけではなく、自分自身でも楽しみや喜びをつくれること。

小さくても「こうしたい」と言える気持ちを持ち続けること。

そして、元気な今だからこそできる挑戦として、私がカナダで新しい生活を選んだことも、その一つです。

それは特別な生き方ではなく、日々の選択の積み重ねで、自分の人生を豊かにしていくこと。

いつまでも挑戦して成長し続ける自分でありたいと思います。

この記事の内容についてご相談や、執筆・企画のご依頼がありましたら、お問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください